女神による幸福な死刑
ドイツの哲学者カントは、刑罰は悪に対する悪反動であるため、犯した犯罪に相当する刑罰によって犯罪を相殺しなければならないとして絶対的応報刑論を唱えた。
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これに対して、刑罰が応報であることを認めつつも、刑罰は同時に犯罪防止にとって必要かつ有効でなくてはならないとする考え方は相対的応報刑論という。
「死への恐怖ない」秋葉原事件公判で加藤被告
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これに対して、刑罰が応報であることを認めつつも、刑罰は同時に犯罪防止にとって必要かつ有効でなくてはならないとする考え方は相対的応報刑論という。
「死への恐怖ない」秋葉原事件公判で加藤被告
初期作品の魅力
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春川ナミオ氏が、初期の自分の作品は上手に描けていない気がするので好きではない、とおっしゃっておられたが、私は好きである。
スタイルや構図に関しては、後期に発表された作品によりいっそうの迫力を感じることも確かにあるが、女性の表情や、そこに至るまでのプロセスなど、理想の姿を模索していた時期ならではの、未熟さゆえのデリケートな味わいが感じられる。
後期作品に比べると、お尻のフォルムや肌の質感の描き込みが物足りないとは言えるかもしれない。
だが初期の春川の関心は、シチュエーションやプロセスとしての顔面騎乗へのこだわりが強かったのではないかと思われる。
猿ぐつわをかまされて、まさにこれからお尻が顔の上にのしかかってくる瞬間。うっすらと目をあけて恍惚としているようにも見える。責待刻の刹那が表現されている。
女性側の評価
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最近いろいろな所でお話をしていて興味深いのは、春川ナミオの作品が意外や女性の方々にも人気があったということ。M男目線をすっ飛ばしてS女目線からも共感が得られているというのは嬉し恥ずかしといった感じです。
「こんな絵が好きだなんて、あなた変態じゃないの?」と言われて軽蔑されそうと思いきや、
↑ 実はそう言われてみたいのが秘めたる願望だったりもするのだが・・・
「春川さんの世界って素敵ですよねえ」
などとシリアスに言われると、リアクションに戸惑ってしまう。
もっとも春川作品の本質には俗物的なサブカルチャーではなく、聖なる芸術性があるという、わかる人にしかわからない普遍的な価値を確認することができ、本当に嬉しいことではある。